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多死社会、ですか


昨日の記事にも関連して。

これから「多死社会」の到来と言われているんですね。へぇ。

劇的な面白みはないけど無難な日経の記事。
「迫る「多死社会」 最期をどう迎えるか」
http://www.nikkei.com/article/DGXZZO06210400Y6A810C1000000/

医療の視点から。
「多死社会で終末期医療が変わる――2020年「日本の姿」」 (文藝春秋)
http://bunshun.jp/articles/-/2275

遺体ホテルとか面白いな。
http://www.sankei.com/west/news/170117/wst1701170002-n1.html


そしてコレ。国単位でも漸く動き出すようだ。
「終末期医療で国民意識調査 10月から、厚労省検討会」
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2017080301001674.html

さて2020年の東京五輪に向けた日本のイメージアップに間に合うかな、
そして2025年問題に対する1つの解となるのかな。
医療費削減に向けて迅速に動いてくれると良いのですが。


そんで、穏やかな死の次は積極的安楽死いきましょう。

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【感想】Newton 9/2017 「死とは何か?」他


9月号にNewtonのトピックが面白そうだったので購入しました。

メインはここ。

★死とは何か? 人はなぜ必ず死ぬのだろう
冒頭「身近なはずの「死」のことを、私たちはあまりよく知らないのかもしれない。」
とのこと。続いてさまざまな科学的側面から「死」について言及されています。
倫理や哲学で死の話をすることはあっても(あと医学とか?)
意外と科学という視点から死を考えることは無かったかもしれません。

・曖昧な死の定義
死亡判定って歯科医師でもできるんですね。
地味に歯科医師って歯に限らない医者だよなとたまに思う。
死亡判定は死の三兆候を見るのだそうです。
「心臓の停止」「呼吸の停止」「瞳孔反射の欠如」…
言い換えると生命維持に欠かせない心臓・肺・脳の停止。
ただ、これらは医学的に確固たる証拠を持って定義づけられた
「死の定義」というわけでなく、
こうなったら大抵は二度と目覚めることが無いという経験的な判断基準なのだそうです

・「脳死」は人が決めた死 / 「生きている」の判定基準は?
興味深い事例の話がありました。
「人工呼吸で約1年半にわたり命をつないだすえに脳死判定された患者を病理解剖したところ、
 脳が影も形もないほど溶けてしまっていた事例がありました」とのこと。えええ…。
心臓はある程度脳とは独立して動いているみたいです。
人工呼吸器こそ諸悪の根源?ハサミと同じで使いようなんでしょうけど。
それに人工呼吸器以外にも点滴や経管栄養といった厄介もあるわけですが。

・死期を予測することは可能か?
やっぱり万が一の際にどこまで延命措置を行うのか等、死に方を考えておいたり
周囲が死を受け入れる準備をしておくってのは大事らしい。今更言うまでも無いですが。
この手の話じゃなくても、今週の献立なり子どもの養育費なり自分のキャリアプランなり
先々のことを考えて準備しておくに越したことはない事例はいくらでもある
(極端に神経質になるのも考えものだが、備えあれば憂いが無いという程度に)。

正確な死期を予測するのは難しいものの、死ぬまでに見られる身体の変化についての
話があった。まずBMIが徐々に下がる、特に死ぬ24ヶ月前くらいから加速する。
死ぬ8ヶ月前には食事量、2ヶ月には水分摂取量も激減する(あくまで平均的な例ではあるが)。
最近高齢者の身体をちらちら見る機会があったが、確かに手足がものすごく細い。
まぁそういうものということですよね。
無理に飲み食いさせる必要は無いんじゃないかと。そもそも自分で飲み食いできないんだし。
エサをあげてはいけませんってヤツだな。

・寿命が"生まれる"きっかけとなった「有性生殖」
この辺りがとりわけ興味深かった。
無性生殖で増殖する生物は基本的に増殖前後で遺伝子が変わらず、
生存に適した環境下では爆発的に増殖することができる一方
環境変化により滅ぶ恐れもある。
有性生殖は父親と母親から遺伝子を受け取り遺伝子に多様性をもつことで
環境変化に対応できるように進化した。
また、進化の仮定で複雑化したのだそうな。
複雑な組織を維持するのは大変で、ある程度老化すると組織を保てなくなり
死んでしまう…これが寿命が生まれた契機なのではないかとのこと。
考えてみると、新陳代謝で組織が生まれ変わっているとはいっても
一度視力が落ちたり失明したりすると視力は戻らないし
欠けた歯、失った指なども再生しない。成る程、組織は保たなければいけないし
保つのも楽じゃないし、損傷したら死んで後のことは新しい個体に任せるのが
良さそうといったことになってくる。

あと重要なのここですね。
「また、仮に親がずっと生き残ってしまう種がいたとすると、子どもとえさの奪いあいがおこり、
いずれえさが枯渇してしまう。環境の変化によって簡単に淘汰されない程度に
適応能力をもち、さらに子孫を生んだあといずれ死んでしまう生物の法が
結果的に繁栄できたのだろう。」
…ということで、親がずっと生き残って(親をずっと生かしておいて)しまって
その結果滅びの一途を辿っているのが人類です。多分。



その他のトピックについて。

★脳卒中 予兆を見逃すな
脳卒中は「寝たきりや要介護の原因」のようです。恐い。
要介護…妖怪子…なんつって。ほんとに要介護者って子どもと共通点が多いと思いますが。
成長じゃなく衰退していくという点以外は(だから何のために手を尽くすのか謎なんですよ)。

少々脱線。
小学校のとき同級生の兄が転倒して石に頭を強打しくも膜下出血を起こしていました。
その後は永遠に車椅子生活、会話も不自由、学校は恐らく養護学校に転校したんじゃないかと。
本人も親兄弟も気の毒。
とりあえず自分がもしあんな風に車椅子生活になろうもんならどうにかして死ぬ。

話は戻って。
前半の話だと治療は発症から8時間以内が勝負らしい。
つまり脳卒中になった後に半日くらい人に見つからなければ安らかに眠れるわけだ。
下手に病院に運ばれてしまった場合の後遺症リスクがとにかく恐い。
いやNewtonには脳卒中になったら半日隠れろとかそんな記述はありませんが。
普通に死や後遺症を免れるために予防しましょう、というスタンスです。
色々治療法はあるようですが、そうはいっても治療には医者の工数と金がかかりますから
科学誌として楽しんでも自分の有事に頼ろうとは思わない。

話が前後してしまいましたが、予兆が出ることもあるそうです。
笑ったり手を上げようとしたり、喋ろうとしたりしたときに麻痺のような症状が出て
うまくいかないときは脳卒中を疑えと、罪悪感を捨てて救急車を呼ぶようにとのことで。
発症したときは辛そうだしなぁ、ううむ。
治療費が易くて後遺症リスクが小さいなら予兆の段階で病院にかかるのもアリなんだろうけど。


★薄毛は科学で克服できるか
みんなの悩みですね。
詳細は紙面をご覧頂きたいのですが、ざっくり言うと
ハゲるか否かはほぼ遺伝で決まるそうです。
ハゲの治療法と推奨度も掲載されています。
そして迷信めいたものに無駄な金を使わないように、とのことでした。
因みに、紙面ではハゲハゲとは言わず男性型脱毛症と標記しています。


★FOCUS
最後にちょっとだけ。
p12のFOCUSというコーナーに、日本にヒアリの侵入が確認されたという話が掲載されていました。
人間や産業関連だけでなく動物や植物もグローバル化しているわけですね。
みんな厳しい競争社会の中で生きているってことよ。
生きるとは、競争に勝つということ…とも言えるかもしれない。
下手な人権保護やら何やらで弱っている人類を、食い殺す生物が出てくるのも
そう遠い未来じゃないかもしれない。


すごいどうでもいいですが昔小学生向けの理科実験教室みたいので
「○○を科学する」という単語が乱発されていたのを思い出しました。
「科学する」とか何するのかわかんないじゃないですか。この雑な表現が大嫌いでした。
Newton読んでると胡散臭い表現が目に付かないですね。やっぱりそれなりの雑誌。

「違反です」だから何だってんだ


過去にも似たようなこと言ってるかもしれないですが。

よく駅のポスターなんかで見かける
「○○は法律で禁止されてます」みてぇな文言が大っ嫌い。
安直なんだよなぁ、プログラム通り動くだけなのかよ人間ってのは。
それ下手すると今時コンピュータの方が頭いいんじゃ、、。

うちの上司たまに(ごく雑に言うと)
「赤信号は死んでも渡るな」みたいなこと言うんだけど、
赤信号って車に轢かれて死なないためのもんじゃなかったっけ?みたいな。

いじめ防止法があってもいじめは無くなりません。
あれはある種の人の性が生み出す現象でしょう。
あと極端に「みんなと同じが良い、違うのは悪」みたいな考えが浸透したのも多分悪い。
ここ何年かは多様な価値観が認められつつあるが。
前者はテレビ時代、後者はインターネット時代と言ってもいいのかもしれない?

介護保険制度も、制度は敷かれても
財源に加え介護職の担い手も居ないから
結局制度の謳うサービスは受けられないと聞きます。
リソース大事。
まぁ一方でリソースを動かすのに制度が必要だったりもするんだろうけど。

法律なんて人の作ったもんよ、神の作ったもんじゃあるまい。
何がそんなに特別かね。
嗚呼、それが人を裁くからか。
「法律で禁止されてます」は訳すと「お前刑務所行きになるからな」か。
そう考えると恐ぇな。
だがしかしやはり内容的には法律ってそんなに神がかったもんでは無いわけで
(基本的にはそれなりに考えて作られているといっても)。
それに力づくで従わされるんか、理不尽な世界ってやつかね、こりゃ。

んーでも罰金と刑務所を覚悟できるくらいなら
法律に反していきゃいいんでないかね。
それくらいの問題のときってそんなに大きな罪に問われない気もする?
ガンガン判例作ってくことで法律変えたりもアリ得るだろうし。
いずれにせよ少なからず血が流れそうだけど。

で、血を流さんで法を自分の思いのままにしようと思ったら
そういう身分を狙うとかそういう身分の人を味方付けるとかになってくるか
どのみち"力"は要る。

んでやっぱり、法律違反なんだとしても
理論的に多角的に冷静に考えて違いねぇと確信できるなら
穿けばいいんでないかと。
見てる人は見てて助け?てくれるだろうし、
そうでなくとも潜在的な同意者はいるだろうし。

”判断能力”がある・無い


最近仕事の都合で介護について何かと調べているもので
それに釣られて積極的安楽死させてくれとか
せめて延命せずに安らかに逝かせてくれとか
そんなこと言ってばっかりなわけですが。

2年振りにエンドノートの内容を見返して適宜更新しました。


命第一主義と対峙するに当たり、
判断能力」これがキーとなるのではないかと気づく。

公証役場で尊厳死宣言公正証書を作成する場合にも
「この(尊厳死)宣言が、精神が健全な状態で行われたものであること」
などを宣言するとあります。

任意後見制度についても
「本人が契約の締結に必要な判断能力を有している間に、
将来自己の判断能力が不十分になったときの後見事務の内容と後見する人
(任意後見人といいます)を、自ら事前の契約によって決めておく制度です。」
とあります。

その他、エンドノートには
「私が正常な判断ができないときは、次の人の意見を尊重してください」という欄が
あったりもします。

俺的には「判断能力が無い=死んでる」なんだけど
(だって他の動物だったら、そんな状態になったら
仲間に見捨てられたり怪我したり他の動物に食われたりして死ぬじゃん)
世間的には認識がはっきりしない。
命第一主義社会に於いては判断能力があろうが無かろうが
守らねばならぬ命として捉えている。
そんな高コスト無生産の命を守るために
裏では別の命が悲鳴を上げているという事実を見てみぬフリして
(闇雲すぎて恐いよこの世界)。


じゃ、誰が判断能力を判定してくれるのか?というと
大抵は医者のようです。医者も仕事多くて大変だなぁ…文句言われてばっかだろうし。
どの程度判断能力があるかは3段階で評価されるようです。
(参考:意思だけが判断能力を判定できる?
(参考:判断能力の判定

会社の人達が「親がボケてきた」と話していましたが
電気部品の接触不良みたいな感じで
最初は一瞬だけ記憶が飛(?)んで、だんだんとその頻度が増えてくるらしいです。
その、初期の頃に「あれ?」っとなったときにすぐ
今後のことを話し合っておいたり後見人を決めたり証書類を作成しておいたりすると
後々困らないんでないかと思います、
というかそうしておかないと後々面倒なことになります絶対。

判断能力があるうちに言っておくけど、判断能力が無くなるって死んでるに等しいから。
判断能力は(精神科の?)医者が判定してくれるから。
判断能力が無くなったら(できれば無くなる前に)頼むから肉体も死なせてくれ。

と周りに言っておくようですかね。
周りも犯罪者にはなりたくないっつってほっぽっちゃうと思うんですけど。
だから判断能力があるうちに間違いなく死ねる仕組みが欲しいんですけど。

尊厳死協会じゃ弱い、あくまで尊厳死だから。無いよりは良いけど。
積極的安楽死を実現するための活動もあるようですが(これとか)
これも何もしないよりは良いのせよ実現性についてはまだまだ疑問。
積極的安楽死が可能な仕組みが実現して困る人(程度)なんて
実現して喜ぶ人(程度)に比べれば取るに足らないはずなんですが、
いかんせん数が集まる意見じゃないが故に…
けど同意見の有識者は居るはずだからその辺がキーだろうか?

調べてると、多分自殺って身体が元気なときにやると上手くいかないんですよね。
あとどうしても人に迷惑になる。
だからやっぱり、人間を襲う動物も居ない・日常に死ねる場所がない以上
どこかに死ねる場所が必要。


まぁ、痛い思いをしたくない、という制約を取っ払うと
危なっかしい場所なんていくらでもあるか。
でもできればやっぱり痛い思いはしたくないし
痛いまま暫く生きる羽目になるのも嫌だし
リスクはあるんだよなぁ…。

【感想】食べ物のことはからだに訊け! ――健康情報にだまされるな (ちくま新書)


例によって図書館で借りたのですが、最近読んだ本がこちら。

食べ物のことはからだに訊け! ――健康情報にだまされるな (ちくま新書)
著者:岩田健太郎

タイトルからして自分が思ってる通りのことです。
人間の身体のセンサーってかなり優秀なんだと思うんですよ。
あれこれ装置つけて測定したりしなくたって
医者側も患者側も割と色んなことがわかるんでないかと。
本書の中でもそういう話が度々上がっています。
ちょっと先日読んだ養老先生の考え方にも通じるところもあるかもなぁ。

「はじめに」にこうあります。

 通常、「食べ物と健康」を扱う本では
「こういうものを食べろ」「病気にならないためのたった一つの食べ物(?)」
「これを食べればガン知らず」のようなタイトルのものが多いです。
マニュアル本的に「こうすればよいのだ」というシンプルな指南です。
 本書はそのような親切な作りはしていません。
「健康に良い食べ物は人に聞くな、自分で決めろ」という
まことに一見不親切な本です。

世の健康本(に限らずビジネス本なんかでも割とそうなのですが)の
"ウマい話"っぽいタイトルにうんざりしていた身としては期待。
「健康に良い食べ物は人に聞くな、自分で決めろ」ほんと、その通りだと思います。
世間は情報に踊らされすぎている。
健康に限らず、芸能人が勧めてるから買うとか、
食に限らず、偉い人がそう言ってるから従う、とか。

まぁ、全然偉そうなことは言えなくて
トンデモ健康本を立ち読みして一時期プチ断食を試みたり(破綻しました)、
「この人がこう言うならそうなのかもな」とすんなり受け入れてしまうことが
自分にもあるわけですが。
そういうわけで、期待通りであったと同時に自分自身への戒めにもなりました。

重要なのは「中庸」の精神とあります。逆に極論は疑うもんだと。
アレは何から何まで良くてコレは何から何まで絶対ダメ!みたいなことは無くて、
アレはこの点では良いがこの点では良くない、とか冷静に事実と向き合う…
そういった態度が健康本を書く上で本来必要だと言われています。
同書でも述べられている通り、そういう"わかりやすい"もの
(ウマい話とも言うお思う)に飛びつく消費者も
トンデモ本が流行る要因の大部分を担っているわけですが。

同書内で紹介されていたのですが、
ジョン・ブリファ氏の『やせたければ脂肪をたくさんとりなさい』という本があるそうです。
これの原題は「Escape the Diet Trap(ダイエットの罠にはまってはいけない)」
なのだそうです。確かにこれは呆れてしまいます。
これが日本の健康本業界の縮図とも言えましょうか。
因みに中身もあくまで「中庸」の立場に立ち極論には走っていないそうで、
脂肪をたくさんとりなさいとは言っていないんだったかと。



1番面白いのは冒頭(はじめに・第一章)と最後(第七章・あとがき)です。
特に一章の
『ある食事法に「はまった」人は、他の食事法を選択した人を攻撃する傾向があります。』とか
『「命が」一番大事」で良いのか?』とか。
七章の
『自分の身体を直覚で評価する』
『現代医学も主観によって判断している』
『1 ゆっくり食べる』『2 集中して食べる』『3 感謝して食べる』
などなど。
「はじめに」を読んだあとくらいに「あとがき」を読んだらすごい不意打ちを喰らいましたw
中身は内緒。いや、岩田先生のノリ好きです。
「はじめに」にも『ぼくは「人と同じこと」をするのは好きでないので』ってあるしなぁ。

真ん中らへんはひたすらトンデモ健康本の批判といった感じでした。
若干ダレてくるのですが、でも根拠を持って冷静に分析していて
賛同すべきところは賛同していたりもします、つまらなくは無かったです。
少し嫌味っぽい言い回しもあって読む人が読むと腹を立てるかもですが;
(そうした点が原因かはわかりませんが、amazonnのレビューも二極化しているようです)。
実際どの程度調べたのかはわかりませんが、本の内容の限りでは
情報収集力とか分析力とか凄まじいと思います。
参考文献も一通りリストアップされています。海外の論文を中心にざっと100件くらいでしょうか。

トンデモ本の特徴としては
・極論が多い
・「西洋医学は信用できない」「科学では説明できないこともある」を連発する
・科学を批判するわりに、科学の権威をありがたがる
・しかし、人間に関するデータは少なく、ほとんど動物実験
・「自然治癒力」「日本古来の」「古代からの」「自然免疫力」「抗酸化作用」
 といった「キラキラワード」を多用する
・論理の飛躍、拡大解釈、過度の一般化
だそうです。
キラキラワードは結構引っかかりがちだったかなと反省してますorz
昔からあるもん食ってりゃ間違いないんじゃないか、とか
社会の教科書にあった昔の日本食の写真に山盛りの塩があったのを見ると
別に塩分を気にしすぎる必要なんて無いんじゃないか、
とか割とよく言ってましたから;

添加物の類とか、身体への良し悪しが明確になっていないものが大半なようです。
「よくわかっていない」、逆に言うと
『「リスクがあるにせよないにせよ、それは小さなリスクだ。極端なことをしなければ大丈夫」』
ということでした。なるほど、確かに。
また、知られていないということを知る、というのも大事と。そうですよね。


本当にこういう本を手に取った方がいいはずの人こそが
こういう本は敬遠するんだろうなぁ。
医者が患者に課題読書として読ませるとかどうですかね。

暑いわ調子良くないわで元気が無かったので(言い訳)
あまり頭を使わずに取り留めない感じで書いてしまいましたが、
とりあえずこんなところにしておきます。

マイナーチェンジ


カウンタを設置してみました。
すごい今更なんですが。。
適当に千の位を5にしてスタートしようかとか考えましたが
それも何かアレなのでまぁ1からスタートすることにしました。

2014年7月20日?から始めて丁度3年、ということに今気づきました。
結構書いたなぁ。そして地味に書かなかった月が無い
(右側の「月別アーカイブ」参照)。
1ヶ月経つと広告が出てしまうからというプレッシャーもあってのことですが。

それから、最近の読書感想文の行き場が無かったので
カテゴリに「読書」を追加しました。



この間会社で端材を溶接して金属の小物入れを作ったんですよ。
それに基盤むき出しのRaspberry Piを入れて使ってたら
Raspberry Piが突然落ちたりして何か挙動がおかしいので
どうしたものかと思ったら…熱い!
どうも小物入れのせいで意図しないとこが電気的に繋がってショートしてたっぽい。
一応今のところ幸い目立った異常は見つかってませんが…orz

で、Raspberry Pi 3にOpenCVをぶち込もうとしたらうまくいかなかったので
またそのうち頑張ります。

【感想】 最近読んだ本


最近読んだ本の紹介です。
単位期間当たりに読む本が増えたのか他のことに費やす時間が増えたのか、
だんだん一本一本レビューを書くのも辛くなってきたので今回は簡単に。


最少の時間と労力で最大の成果を出す 「仕組み」仕事術

会社の先輩に借りました。社内の若手の製造部門が有志で作ったコミュニティがありまして、
そこで各自の持っている本をリストアップし貸し借りするという仕組みがあるものでして。
図書館で借りるのとの大きな違いは以下の2つ。
・返却期限を気にしなくて良い
・内容について先輩と話せる
勿論、読める本に限りはありますが。どの方法も一長一短です。

内容としては、ざっくり言うと「頭使わないで仕事しよーぜ」という話です。
仕組み化にエネルギーは使うけど出来上がってしまえばあとはルーチンワークで
ミスなしムダなしにできるという。
確かに会社でもデキる先輩はルールやマニュアルをきちんと作る傾向がある。

本の中で紹介されていた方法で特にいいなと思ったのはメールの「24時間ルール」。
提案は全スタッフにメールで流し、24時間以内に否定や別の提案が無ければOKとする、
というものです。素早さがキーとなる時代ですからね。
自分がグループを動かす立場になったときには取り入れたいものです。


自分は死なないと思っているヒトへ―知の毒 (だいわ文庫)

図書館で本を借りるようになってからハマっている養老先生の本。
何冊か見ていると同じような話が何度も出てきたりするので
1,2冊手に取れば十分だとは思うのですが。

「都市化」「脳化」といった辺りの話は丁度自分が日頃感じていたことを
言葉にしたようなものでした。
人は人が制御できないものを否定している。
特に「生」と「死」が日常から消え去ったと。
大抵の人は病院で生まれて病院で死ぬのだと。本当にそうです。
住み慣れた家で最期を迎えたいというニーズはかなりあるようですけどね。
後で処理する方が嫌がってしまうのでしょう。
自分などよく死についての問題は提起しますが、(良き理解者もいる一方で)
「何でそういうこと言うの」と否定される。
タイトルの通り、今の日本には自分が死ぬという発想が無い人が多すぎます。
そういう”逃げられないもの”から逃げ続ける弱っちい人を
マトモに相手するつもりはあまり無いですけどね。
何で死んじゃだめなの、なんで悲しいのダメなの、別にそんなことがあったっていいじゃん。

印象的だった内容のもう1つは「手入れ」の思想。
田園風景って自然ではなく人の手は入っているんだよな、と薄々感じてはいたのですが
それこそ人間が「手入れ」をしたものなのだと。
そこにある自然を受け入れつつ人間が扱いやすいように整えるといいますか。


■ ビジネスマンの父より息子への30通の手紙 新潮文庫

中身の詰まった一冊。
事あるごとに言っているような気がするが、ビジネス文庫は大半が内容の薄いもので
入り始めとしては良いが何冊か読んでいると学びが少なくなってくる。
最終的にバイブルとなるのは何冊かの内容の詰まった本で、
今の自分にとっては「僕は君たちに武器を配りたい」「人を動かす」辺りであるが
今回読んだ「ビジネスマンの父より~」もその1冊になる。

…というわけで、半分くらい読んだところで返却期限が来てしまったので
この本については買おうと思います。


あと本でないですが紹介したいものとしてこちら。


不安な個人、立ちすくむ国家

結構話題になっているみたい。これも会社の先輩に紹介されて読んだものです。
自分が日頃言いたいことを代弁してくれているとでも言えようか。
根拠がしっかりしているので誰に対しても説得力がある。
具体策が無いという意見もあるようですが、
こういうのが公的機関から出てきたというだけでも
未来が絶望だけでなく多少の希望が湧きます。

何人かの知り合いに見せたら、ある人が
「(p18について)定年後はそれまで働いてた時間でテレビ見てるだけかい」
と突っ込んでてワロタ。


日本人の7割以上が安楽死に賛成しているのに、法律で認められない理由とは?

最近仕事の都合で介護・福祉関連の調べ物をしますが
よくこの「みんなの介護」というサイトに行き当たります。
老人ホーム検索サイトのようですが付加コンテンツがなかなか興味深い様子。

自分の最も大きな願望の1つに「人に迷惑を掛けずに死ぬ」というのがありまして
「やりたいこときちんとやろう」と思い立ったとか何とかのタイミングで
(自己の)積極的安楽死を実現する方法を調べ始めたら行き着きました。

これを読んでて、意外と何とかなるのかな?と思えて少し安心しました。
油断はできませんが。

2017年 中間報告


今年の頭に「2017年抱負」という記事を書きました。
http://as0519.blog.fc2.com/blog-entry-346.html
やたら拍手頂きました、ありがとうございましたm(_ _ )m

こういうのは時々振り返った方が良い、ということで。
本当は3, 4ヶ月くらいで振り返りたかったが
いつの間にか半年過ぎてしまった。
というか、例の記事にも
> 何よりこの新年に目標を掲げて年末に反省するというサイクルを絶やさないことが
> 最大の目標かもしれません。一年だと長いので6月頃にも一度振り返りたいですね。
とあった。。


■仕事

読んでて懐かしいとさえ思ってしまうような中身ですね、
当時と比べ状況が大きく変わりました。
まず年度頭から業務時間の2割を本業外のプロジェクトに費やすことになりました。
応募したら受かっちゃったんで。これが最近割と手応えある。

それから、異動したわけではないんですが
研修で6~8月の3ヶ月間機械設計の仕事を離れることになりました。
近くて遠かった機械保全の仕事は多くの学びがあります。
弊社の産業は下火になりつつあるので
新しい機械を作るより今あるものをどうにかする方が
需要もあるだろ、何より自分にとって惹かれるものがある。

そもそも5月末に山を迎える仕事を持っていた関わらず
6月から(それも週頭とかでなく6月1日から)研修開始となったのは
管理職の間で政治的なアレが働いていたからというのは簡単に読み取れて
そんな不信感からもやはり設計部門に身を置き続けるのは
あまり前向きになれない。

半年前の記事を読み返してみて、正直書いたことをやる気にはならない。
目指す所は間違ってない気もするけどやるなら違う立場で。

今後は
広い視野で課題の解決を目指すようなことに注力する
 業務外のプロジェクトにも参加しているので、引き続き。
・社内のテスクワーカーとは比較的コネクションを作りやすいが
 現場作業者とのコネクションをもっとしっかり作る
 折角保全実習で工場内あちこち駆け回ってますので。
 そして、いずれにせよ
手を動かす、実現する
そんな辺りが焦点になると思ってます。

いずれも単純に上司の言うこと聞いたり
従来の業務に従来通りのウェイトを置いているようではまず無理なんで
多少の血が流れることは覚悟の上で。


■英語
TOEIC5月でした。やっぱり怠けました。
手持ちの本の丸暗記に努めようと思ったけど続かなかった。
しかも試験の形式が微妙に変わってた。
こりゃそろそろ新しい本の買い時か。

skype英会話とtwitter英語アカウントの方は細々と続けています。
それだけ?だけど、一応続いているのは偉い。
skype英会話もかれこれ40回以上レッスンを受けている。

あと英語のゲームを始めたけど進んでいないです;


■趣味
3Dの方はほんのちょっとTinkerCADをいじったくらいで終わってます;
会社の先輩で割とマニアックな人がいるので
試作品を作ってもらったりしました。表面がまだガタガタだなぁ。

創作ないし個人制作ゲームの方はそこそこ充実したかもしれません。
それも振り返らないとですね。

あとRaspberry Piで電子工作をちょっとはじめました。
OpenCVなんかを使った画像処理なんかも興味があります。
マクロももう少し訓練するようか。

そんなところですかね。
また半年後に少し成長が見えていれば良いものです。

欲しいもの


折に触れて気づいたのは、
自分には貰って嬉しいものがあまり無いということ。
もらって困るものの方が多いかもしれない。
無用な心配だが…もし誰かが自分に何か贈ろうとしたとき
何を贈るか非情に悩むのではないだろうか。
自分を知る人ほど、自分を本当に喜ばせようとする人ほど悩むはず。

贈り物を頂くということ自体は嬉しい。
普段自分から買おうとはしないような少し洒落たお菓子とか、
そういったものであれば普通に喜ばしい。
沢山頂いたときは会社の人に配るので
割と誰にでも好かれるものなら持ち帰りに困らない程度の量であれば喜ぶ。

添加物や工業製品、製造や輸送にエネルギーを使うものを
好まない傾向がある。全く食べないわけではないが食べ続けたくはない。
実際、引き出物の粉末だしが全然減らなくて困っている。
本気で喜ぶといえば自家製の何か、とか。
添加剤無しのジャムや梅干しなど。採れたての野菜とか。焼き菓子なんかでも。
近所の人から貰う感じのものになってしまうか。
割と、お金ではなく労力を費やして用意してくれたものがいいのかもしれない。
勿論クオリティは並みかそれ以上で。
自家製というわけにはいかないだろうが
添加物の無いはちみつやメープルシロップ、オリーブオイルなんかも嬉しい。
値は張るだろうが美味しいもの。容量はMAX500mLくらいで。小さめが良い。
試食した上で気に入るものを。

食べ物は消えるからまだ良い。雑貨は本当に困る。
メモ帳や付箋あたりならまだ消費の見込みはある。
ボールペンなんかは余っている。
キーホルダーやストラップの類なんてほとんど使わない。
置物とか完全に不要。

身の回り品はこだわりたいので、これも貰うものではない。
財布や名刺入れはめちゃくちゃ自分のニーズを捉えている人
かつ自分が大事に思ってる人から貰う分には嬉しいかもしれない。
そういうことで格別親しい人からの贈り物の場合に限られる。
靴やシャツは自分の寸法に合わせてオーダーメイドでいきたい。
あとは、ある程度こちらの好みがわかっているならネクタイや靴下とか。
普通に仕事に使えるもの。といっても毎日スーツを着るわけではないので
ありすぎても困るが。靴下はサイズわかる人限定か。

これもモノによるが、技術や情報の提供でも喜ぶ場合がある。

プレゼントを受け取る際、宅配は運ぶ人が大変そうなので望まない。

お買い得感は好きでない。割高なくらいであってほしい。
普段飲み食いしているものが大抵そういうものなので。
少食な代わりに普段からウマいもん食ってる。
と言っても旬の野菜なんか使うとそこまで金はかからない。

貴重、かつ今まで考えも及ばなかったような物や体験をもらえたら
それは最も嬉しい。

大抵、渡し手が自信過剰あるいは「贈ってやってる」というスタンスであれば
渡されるものは突き返したくなるようなものばかりである。
本当にこちらが喜ぶものをくれる人というのは
ニーズに合っているかどうか非情に気を配り、よく調査し、謙虚でいるもの。
贈り物でご機嫌取ろうとか下心旺盛な人は無用。

結局、信頼関係があるかどうかが重要ということになる。
そうなるとその人との関係や日頃のやりとりそのもの、ないし為人や知識経験などが
ある意味「贈り物」だったりするとも言える。

【感想】イランカラプテ アイヌ民族を知っていますか?――先住権・文化継承・差別の問題(明石書店)


今回ご紹介する本はこちら。

イランカラプテ アイヌ民族を知っていますか?――先住権・文化継承・差別の問題

当方は生まれ育ちが北海道で小中学校時代はアイヌ民族の話もよく聞きました。
身近にアイヌの人(少なくとも、そう名乗る人)が居たわけではないけれど。
この本によれば、うちの学校なんかは珍しい例で
北海道の学校でもアイヌ文化についての教育はあまり盛んではないようです。
北海道に限った話じゃないと思うのですが
学校の先生も地元で育って地元で教えているとは限らないですから難しいですよね。
この本では、指導内容に困ったらアイヌ文化振興財団に相談するよう提言されてます。

アイヌ文化ってすごく良い文化だと思うんですよ、自然と共存していくというスタンスで。
様々なものに感謝しますし。
でも明示以降、彼らの生活そのものであった狩猟採集が禁止されたり
差別や土地の問題などもあって一昔前までは随分苦しかったようです。
今でもまだそうした問題は残ってはいるのだとか。

土地の権利とかもう大昔に決まってしまった問題は
今国や道に責任追及してももうどうしようもない気もします。
ただ、アイヌの方々には堂々と生きてほしいです。
あとアイヌに限らず民族や国籍、或いは脳(精神)を含めた障害を持つ方など
様々な人が居て、お互い理解し合うのが重要なのではと。
ほんと一昔前に比べれば
属性で安直に人を測るケースは減ったと思うんですけどね。
誰だって何だっていいから"魅力"を持ってる人が強いんですわ。

アイヌ民族で村長(コタンコロクル)になれるのは
4つの力を持つ人なのだそうです、「雄弁家で、勇気があって、器量が良くて、手先が器用」。
何かあったときには話し合いをするので、雄弁でなければならない。
勇気と器量はまぁその通りで…
武器や丸木舟といった道具を作るために、手先が器用でなくてはならない。
3つ目までは一般的なビジネスマンの心得にも通じますが
この4つ目ってあまり言及されないんじゃないでしょうか普段。
すごく大事だと思うんですよ。
今は貨幣経済が回ってますけど、お金(特に円)が使い物にならなくなる時代って
近く訪れてもおかしくないわけで…あんだけ国が借金してるわけですし。
そうなったときに生き残れる人は力や知恵がある人(とその人に愛されてる人)なはずです。
だからスキルって大事。
自分自身そういうスタンスなんで「自分でできることを増やす」というのを
物心ついた頃から大事にしてきた…つもりです。
勿論時と場合によっては人の手も借りますが、
その人に”お返し”ができないんじゃ手も借りれないですし。
やれるんなら自分でやっちゃう方が早いですし。

あと「トウスクル」という、薬草で治す知恵を持った人も居たそうです。
例えば狩りの際に毒として使うトリカブトを薬として麻酔薬に使ったりもできるらしく。
自然にある動植物でとこまで治療できるのかというのは
実は結構興味があったりします。
機会があれば調べてみたいです。

「カントオロワ ヤクサクノ アランケペ シネプカ イサム」
という言葉が紹介されていました。
「天から役目なしに降ろされたものはない」
要するに
「獣はいてものけものはいない」
ですよね、なんて。


北海道にはよく「別」や「内」がつく地名がありますが(江別とか稚内とか)
「ペッ」は大きな川、「ナイ」は小さな川(沢)を意味するそうです。
他にも
「ホロ」→大きい
「ビラ」→崖
「ウス(ウシ)」→たくさんある
「シリ」→島
「ト(トー)」→湖、沼 (ex:洞爺、苫小牧)
などなど。地名がアイヌ語由来、というのは習っていましたが
細かい意味までは覚えていなかったので
覚えるいい機会になりました。


しかしよくこんな本を関東の図書館で借りれたもんだ。

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サーバー:幌筵(13/12/27開始)
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※現在休止中
[その他]
雪国出身、関東暮らし3年生。

[別名義コンテンツ]
"倉下 遼"としても活動中
webサイト crAsm(ゲーム制作等)
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[17/7/16~]

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